5月6日日曜日の「朝日新聞」に
おかしな「意見広告」が載りました。
岐阜のお友達が送ってくれたのですが、
■「子どもを競わせる「教育再生」で
いいのでしょうか?」というものです。
■「全国学力・学習状況調査
(全国一斉学力テスト)」反対の意見広告でした。
☆ 生活習慣や学習環境などのアンケートが「プライバシーにかかわる」とかみついていますが、
生活習慣や学習環境と学力の関係を知ることは、大事なことです。
つまらないことで「プライバシー」を持ち出さないでください。
■採点集計を「民間」に委託したことを
「民間企業へ個人情報が流れるおそれも…」といいますが。
☆ 事故死の子どもたちの写真をネットで流した犯人は学校の教師でした。
「公務員」だから信用できて、
「民間」は信用できない、というのは、
「傲慢(ごうまん)」というものではないでしょうか。
■「全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上。
教育および教育施策の成果と課題を検証し、改善を図る」
という政府のテスト実施理由に対しては
「政府・財界・文科省は、競争により
経済競争にうち勝つ人材を育て、
学校を評価して予算配分をしようとしています。
家庭も教育責任を評価される。それが本当のねらいです!」
と、断じていますが
☆ 「それの、どこが、問題なのかい?」と、いうことです。
「世界的範囲で、経済競争が激化」しており、
それに「うち勝っていく人材」を育てることは、最重要課題です。
そして、そのために
「いじめなどを解決できず、隠蔽する学校、荒れる学校学力をつけられない底辺校にメスを入れ、子供達が、安心して、学ぶことに集中できる環境を作ることに予算配分する」
当然のことです。
☆ ようするに、「子供達の学力」が明らかにされると、「教師の能力」が世間にさらされ、教師間の実力の差がはっきりすることで、
「どんなに問題があっても、
おかしな性癖を持っていても、
学力をつける力が欠けていても、
教師という公務員である以上、決してクビになることはない」
公立校の教師は、そういう「特権階級」なのです。
そして、「実力」の差が問われないまま「結果平等」の恩恵を受けて、「良い教師」も「問題教師」も、いっしょくたにされて、「評価」されないまま、きたのです。
そこにこそ、「メス」を入れなければならないのに、このような「意見広告」を出すとは、生徒、父兄、を、これほど、ばかにしたものはないでしょう。
■ しかも「学力テストの実施で教師が『多忙に』と
ホンネがちらもれしています。
☆ 結局、いいたいのは、教師に負担のかかることをするな
ということを、「A2版全面広告」に百万以上の広告費を投じての、
恫喝なのです。
「ふざけるな」と、思ったのは、ひなちゃんだけでしょうか。
その「広告費」わたしらの「税金」から出てませんか?
いじめを隠蔽する教師の給料、私の『税金』からででいませんか?
わたしたちは、どういう思いで税金をはらっているとお考えでしょうか。
子供達が、日本に対する自虐的な、ゆがんだ歴史観を洗脳され、
大切な国、日本への愛国心を、さげすまれ、おおらかな「日の丸」に背を向けるそういう「アナーキスト」「プチ・テロリスト」を育てるために血税を払っているのじゃありませんよ。
いいかげんにしろ!!!
この広告は「岐阜県教職員組合」というものが出しています。
けれど、
「学力」を奪い、
経済競争に打ち勝つ
「優秀な生徒」を育てることを妨害して、いったい、「だれが、喜ぶ」のでしょうか?
もし、日本をダメにして、自国の『属国』にしたい!と望む者がいたら、こうした「意見広告」は、まさに、そういうものたちの「意にかなった」主張です。
大人達は、賢くならなくてはいけませんね。
心地よく響く「こども中心主義」や「教育の人間化」など、その「響きの優しさとはうらはらの、易(やす)き道を引いて、堕落への道に導く甘言に、のってしまっては、たいへんなことになりますね。
どこの国のかは知りませんが、こんな名言があります。
地獄への道は、
善意で舗装されている
いじめを通じて、わたしたちは、もっと「教育」に関心を持ち、関わっていきたいと思います。
学校に『第三者のチェック』が必要です。
もはや「聖職者でなく、労働者」と主張する教師に「聖域」を与える必要はありません。
わたしたち、普通の大人、良識ある市民には、学校を見守り、育てていく「義務」と「権利」があると思うのです。
いかがでしょうか。
ひなちゃん・ももた
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/167289/ 参考までに・・こんな本もあるようです。

「全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上」というのは、極めて大事なポイントです。安心して、ハイレベルな公教育を受けられる、・・これはとても重要です。
知世さん、「未来をはぐくむ教育法」
教えていただいてありがとうございます。
注文したので、届き次第読ませていただきます

seiyaさん、「地獄への道は善意で舗装されている」は、渡辺昇一氏の本にも書かれていたと思います。
おっしゃる通り、「善意」と言っても、この場合は、薄っぺらな甘やかしでしかないということだと思います。
本当の「善意」は、もっと「知恵の裏打ち」があるとものだと思います。
言葉が足りなくて、誤解を招くようでしたら、失礼しました。ご指摘、ありがとうございます。
愛国者さん、世の中にはいろいろな意見の方がいらっしゃいますね。ただ、面白いことに、「真実」ではない言葉には、
人は引っかからないものです。
賛成にしろ、反対にいろ、「はっ」とする内容には、なにかしら、真実につながる言葉が、含まれているのだと思います。ひなちゃんは、たおやかな人なので、センセーショナル、というブランド(それとも、まさかレッテルはり ?、きゅーん、それっていじめかもー)は、あたっていません。
ただ、ほんとうのことを、普通の市民として言っているだけです。
あなたのようなご意見も、世の中にはあると思いますよ。でも、ひなちゃんのような意見も、あるのです。それだけのことですよ♪
学力テストで学力が向上できるかどうかは疑問です。
今の公立学校の学力低下は学習時間の削減による教育内容未消化も一因です。
あなたは、教師の技量だけで学力が左右されるとお考えのようですね。
ネット上で自分の考えを表明することは結構です。しかし、物事をセンセーショナルに取り上げて批判することが問題の解決に繋がるのでしょうか。
教育ブログでトップを飾るにふさわしい内容を期待します。
公立の学校は地域で区切られています。
学ぶ側は、学びたい学校も、学びたい先生も選べません。
それが義務(教育)なのでしょうかね?
優秀な先生とダメ先生が居たら
誰もが優秀な先生に学びたいはず。
親や子供が、学校や教師を選べる環境であったら・・
ダメ学校には生徒が集まらず・・企業で言えば赤字から倒産。
ダメ教師の元に集まる子供達は、勉強したくない子供達かも。
ダメ学校の、ダメ教師に学ぶ生徒こそ、迷惑極まりない!
ちょい昔、
佐久間象山と吉田松陰
緒方洪庵(適塾)と大村益次郎、福沢諭吉などのように
生徒は、それぞれに適った師を選んでいました。
学ぶものがあるからこそ【師】と呼べます。
堕落を教える人は、教師じゃありません。
「岐阜県教職員組合」の広告は、正論を飾した自己保身見え見え。
なんとも情けない・・
ところで
「地獄への道は、善意で舗装されている」は
怠惰・堕落と言う名の善意・・の事だと理解はしていますが
読者の誤解を招かないでしょうか?
子供に飴玉を与え続けて虫歯にさせる。
放任主義と称して「放ったらかし」。
優しさと甘やかしを同義語に捉えた意味だと思いますが・・
大川きょう子著・「未来をはぐくむ教育法」を読まれると、現代の教育界の問題点や真の教育のあり方がズバッと書かれております。
〔第1章・なぜ学歴社会は生まれたのか〕では、朝日新聞の記事に対する問題点と学歴社会がなくなったらどうなるか?という事が書かれており、その結果がとても非情理なものとなるようです。
是非、御一読をおすすめするとともに私も精読してみます。
ちなみに、この書籍は1997年4月刊行となっております。
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