☆★ 二学期が始まる ★☆ 今週から新学期が始まる学校も少なくないようです。
猛暑がまだ続いている地域もありますので、熱中症対策にはお気をつけください。
数年前、夏休みの終わり頃の今の時期に子供たちの自殺が多発していることが明らかになり、9月1日が1年で最も子供の自殺者数が多かったことから、「9月1日問題」といわれるようになりました。
近年は8月中に始業式を行う学校が増えてきたためか、8月下旬のほうが子供の自殺者数は多いようです。
各方面でも、相談体制を強化しています。例えば法務省は、昨年までは6月に行っていた、全国一斉「子どもの人権110番」強化週間を、今年は、8月29日(水)から9月4日(火)までの1週間に行うこととして、いじめや虐待等の電話相談を受け付けています。
今年もすでに、8月27日深夜10時過ぎに、栃木県小山市で、高2男子生徒が踏切で電車にはねられ死亡しました。生徒は翌日が始業式でした。
警察は状況から自殺の可能性が高いとして捜査しており、県教育委員会は今後、学校側に対する聞き取り調査を行うと報道されています。
小・中・高校生の自殺者数は、警察庁の調査では、昨年(2017年)1年間で357人と報告されています。子供の自殺の原因は、学業問題、病気などさまざまですが、いじめも大きな原因の一つです。
1学期にいじめを受けていた子供たちにとって、夏休みは、いじめから解放され気が休まる大切な時間です。
しかし、夏休みが終われば、また、学校のいじめの中に戻らなくてなりません。
場合によっては、「無理に学校に行かなくてもいい」とお子さんに言って、休ませることも大事ではないでしょうか。
ただ、実際には、いじめられていることを、保護者に「言いたくない」という子供がほとんどです。保護者のほうから気付いてあげる努力も大切です。
そこで改めて「いじめの兆候」について述べておきたいと思います。
・始業式を前にして、何となく落ち込んで元気がない
・部屋にとじこもる
・逆にいらいらしている
・いつもと違って弟や妹に当たり散らす
・保護者の前でスマホを見なくなる
・(落ち込んでいると気づかれないように)普段よりもはしゃいでいて、妙に明るくふるまう
このような兆候が出ているようでしたら、「何かある」と考えることも必要です。
さりげなく、「何かあったの」と声をかけてみて下さい。意識してお子さんとの会話を増やすことも大切です。
親には言わないけれど、他の人が声をかけたら話してくれることも良くあります。兄弟姉妹、塾の先生、ママ友など、周りの方の協力を仰ぐことも効果があります。
また、このような「いじめの兆候」がある場合には、お子さんに気付かれないように、教科書や持ち物を調べてみることも一つの方法です。
教科書が破られていたり、保管していたはずのお年玉などの現金がなくなっていたり、切られたり、汚されたりした服などが隠されていたりすることもあります。
お子さんを守ることができるのは最終的には保護者だけです。
お子さんがいじめられた話をしてくれるのでしたら、まずは受け入れることが大切だと思います。
詰問口調になったり、「どうして今まで黙っていたの」とか、「あなたにも悪いところがあるんじゃないの」とか、「やられてないで、やり返しなさい」などと、お子さんを責めてしまいがちですが、これは逆にお子さんを追い込むことになってしまします。
「お母さんもわかってくれない」、「自分には居場所がない」とますます傷ついてしまうのです。
とにかく、お子さんを受け入れて、「私たちが絶対に守る」とお子さんにきちんと伝えて、「学校に行きたくなかったら休んでいい」と伝えて、「家族だけは自分の味方だ」とお子さんを安心させることが必要ではないかと思います。
いじめの早期解決に向けて、ご相談を受けています。
お子さんのことでご心配なことがありましたら、ご遠慮なくご相談ください。
いじめから子供を守ろう ネットワーク
松井 妙子

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★☆ 外国人の子ども いじめの問題 ☆★ 外国人観光客の急増により、ホテルの大浴場やレストラン、寺社などで、文化習慣マナーの違いにより、トラブルが発生しています。いろいろな方面で相互理解、多文化共生といった文言が聞かれます。
最近、高野山赤松院の宿坊に対する、欧米の宿泊者からの
「スタッフは愛想が悪い。朝からシャワーを個室で浴びられなかった、精進料理は妙な味だ」
という感想に、アメリカ人僧侶が反論したことが話題になりました。
これまで日本的対応としては、クレームがあっても 「沈黙」 で通すことが多いと思います。
しかし、反論しなくては、相手に伝わりません。また、「沈黙は、了解。そのとおりだと認めるということなのだ」 と捉えるのが世界の常識です。そのことが身についている外国人僧侶は、口コミサイトへの返信を即座に行ったわけです。
欧米文化を理解している、アメリカ人の僧侶の対応は正しいし、相手の宿坊利用者にとってもフェアなのだ、と思います。
何と言ってもお寺は高級ホテルではなく、お布施をして修行する場であり、そのための精進料理であるからです。修行僧は、ホテルマンではないのです。
相手の間違いを指摘し、反省を促すことは、仏教の教えとしては正しい態度です。
外国の方との問題は、観光客だけではなく、住民の間でも起きています。
実は、日本はすでに世界第4位の 「移民大国」 になっているのです。
法務省統計では、平成29年末における中長期在留者数は 223万2,026人です。特別永住者数は 32万9,822人で、これらを合わせた在留外国人数は 256万1,848人となり、過去最高となりました。
多い国別では、中国、韓国、ベトナム、フィリピン、ブラジル、ネパール、インドネシアの順になっています。
みなさまの周囲でも、飲食店やコンビニ店で働く外国人の姿をみることは当たり前の風景になっていますね。
就労ビザで入国する外国人だけではなく、留学生が妻子を滞在させ、日本で子どもを産む、育てる、学校に入学させることも増えてきています。
そのような状況の中、在留外国人は日本に溶け込むよう努力しています。ゴミの分別はもちろんのこと、義務である税金支払い、国民健康保険の加入など日本人と平等ですし、周囲に溶け込むようがんばっています。
彼らが最も期待していることは、「子どもに高等教育を受けさせて、日本の企業に就職させたい、エリートにしたい」ということなのです。それゆえに、彼らの一番の悩みは、子どもの教育環境、学校文化の違いにあります。
外国人の父母は、保育園、幼稚園時代から、日本の文化に馴染もうと努力しています。
けれども、一見して分かる肌や髪の色の違いからくる 「差別的発言」 を経験していない人は誰一人いないのです。これは子どもの世界でも同じです。むしろ子どものほうが辛辣な言葉の暴力にさらされています。
子どものいじめの問題が起きると、父母が担任教諭に相談をします。
ところが、学校に相談してみて、外国人の最初の衝撃は、「いつまで待っても返事がないこと」 にあります。
学校は必ずしも何もしていないわけではありません。
しかし、返事がなければ、何もしていないのと同じです。
世界のそれぞれの文化的な背景がわからなければ、相手を理解できないのです。
教育では、相互理解、多文化共生とお題目的には言うものの、実際には、理解が進んでいないのが現状で、日本の学校も、相互理解の努力が足りません。
「いや、そんなことはない。わが市では、通訳もそろえているし、学校から渡す文章は必ず母国語にしている」 という校長もいるでしょう。
違うのです。外国語の行政文書を渡すだけでは不充分です。
実際に外国人の子どもや父母と会話するのは教師です。教師がその基礎教養ともいえる外国文化、歴史、宗教を深く知っていること、それに基づいた生活習慣などを理解していることが必要なのです。
この相互理解がないために、ある日突然、学校に、弁護士や外国人支援NPOが登場するといった場面になることもあります。
日本人の美徳である、「遠慮する」、「信じて少し待ってみる」 という、相手の都合をおもんばかる態度も悪いことではありませんが、こと 「いじめ」 に関しては、外国の方々の対応も見習っても良いかもしれません。
ではなぜ、日本では、いじめ等について「判断しないで先延ばしにする」のでしょうか。
これは、「責任をとりたくない」、「自分が担当の時に、ケチをつけられたくない」、「自分の出世のじゃまにしたくない」、という 「日本組織に多いパターン」に、はまっているのです。
「解決しました」という加点主義ではなく、「失敗した」という減点主義をさける傾向が強いということです。世界のスタンダードは実績主義です。
この 「判断しないこと」について、特に学校教育現場では、「タイムオーバー」 という伝家の宝刀があります。
「沈黙」 を保って、やり過ごすことで、事態が収束し、終結するというものです。
特に、3学期では、あと少し待てば先生もクラスも変わります。事情を知っている先生を、転勤させることもできます。さらに、子どもが卒業してしまえば、「終わり」 です。
ここで、外国人と日本人との交渉のちがいについて考えてみたいと思います。
外国人の場合、繰り返し、言葉で交渉しながら、自己主張し、押したり引いたりしながら、納得できるラインをさぐるということが往々にしてあります。
これは商売でも同じなのだと思います。日本人から見れば、遠慮や調和が無いように見える自己主張は、外国人にとっては、言葉によるコミュニケ―ション、繰り返しのやり取りを通じて、相手を理解し、立ち位置を確認していくことにすぎません。
ですから、「主訴」 つまり、言うべきことをはっきりという、言い返されて初めてなるほどと思うという言葉のやりとりは当たり前なのです。
日本人であれば、相手の感情を害するのではないか、と遠慮するようなことも、外国人には、はっきりと論理的に言わなくては伝わらないのです。そして、大概にして、はっきりと言われた外国人のほうは、ひょうひょうとして打たれ強い姿を見せています。
自分は自分、相手は相手、言い分が違って当然、と考えているからです。
様々に述べてまいりましたが、結論として、学校は、外国人の方、日本人を問わず、論理的に 「できること」 「できないこと」をしっかりと説明する必要があります。
学校は、善悪について、逃げないで、しっかりと向き合い、いじめなどの問題について迅速に対応することです。
今、夏休みに入ってから、外国人名の子ども達からの相談を受けています。
ご両親から受け継いだポジィティブ思考と正直さ、日本の先生や友人たちとの触れ合いから学んだセンシティブな心、両方をバランスよく保持した彼らが、いずれ日本と世界の未来のため活躍する姿がありありと目に浮かんでまいります。
前名古屋市教育委員会スクールソーシャルワーカー 堀田利恵

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◆◇ 道徳の授業から ~生命の根源を見つめて~ ◇◆ 中学3年生の道徳の授業で取り組んだ様子を紹介します。
授業で使用したのは、道徳の副読本 「中学道徳3 明日をひらく」(東京書籍) に掲載されている 「あなたはすごい力で生まれてきた」 (文:小澤牧子) という作品です。
授業のねらいは、「生きる力の尊さを自覚し、かけがえのない自他の生命を尊重しようとする心情を養う。」としました。
1. 教材 「あなたはすごい力で生まれてきた」 の内容
以下に要約します。
----------------------------
出産は、母親と赤んぼうの二者の共同作業である。
「痛い」 ということはだれでも聞いているだろう。あなたは、少しずつ、呼吸をはかりながら、動いたりとまったりして、外の世界へ安全に出ようとし、そして無事に出てきた。
(産声は、) 「やった、やった。」 とさけぶ声のようにも思えてくる。
母親の乳房に吸いつく勢いもまた、目の覚めるようだ。生き物に備わった力は、確かで力強い。
自分は生まれるべくして生まれ、生まれえなかったたくさんの命の代表として今を生きていると思うことで、自分をはげまし、他の人々とつながって生き続けていこうという勇気を呼び起こすことができるのではないだろうか。
コンクリートのわずかな割れ目から芽を出して、力強く花を咲かせている道ばたのタンポポ。人間も生き物の一員として、その力を自分の中に備えている。あなたが生まれてきたときの、すごい力もそのあらわれのひとつだ。
あなたは自分で生まれてきた。
赤ん坊と母親がそれぞれの命を自力で支え合っているのだ。その姿が、命というものの、人が生きていくということの原点を、私たちに示していると思う。
----------------------------
以上の作品をもとに授業をすすめます。
2. 授業実践 【導入~展開~終末】
それでは、実際に行った授業を展開してみます。
まず、授業の始めに、赤ちゃんの人形を持参しました。それは、自分がこの世に誕生したときの姿を思い浮かべられるようにとのことです。
さらに、私自身の子供を出産したときの体験を語りました。
・体内に新しい命が宿ったことを知ったときの喜び
・命が体の中で次第に成長していく楽しみ
・毎日、胎児に語りかけ、たくさん会話をし、そして、無事に生まれてこられることを神仏に祈る思い
・胎児の成長とともに、母胎は体力を消耗して免疫力が下がり、帯状庖疹になってしまったこと。
・高齢出産になるので、医者からはダウン症のリスクが高いと指摘された。
・出産のときは、二日間くらいかけて、やっとの思いで出産できた。
・命のすごさ、尊さ、力強さ、素晴らしさの実感
ここまで話して、教材 「あなたはすごい力で生まれてきた」 を朗読します。
この後で生徒たちの考えを深めさせる時間をとりました。具体的には、心に響いてきたこと(部分)を、それぞれの思いを大切にしながら、感想や意見を述べてもらいます。
クロージングとしては、まず写真を提示します。「コンクリートのわずかな割れ目から芽を出している植物」 の写真。「重い石を押し上げて芽を出している植物」 の写真。等々を提示しながら、生徒に 「命」 の力強さを実感してもらいます。
さらに、『自分をえらんで生まれてきたよ』 (いんやく りお著 サンマーク出版刊) という書籍から、りお君の言葉を紹介しました。
----------------------------
この本は、理生(りお) くんが片言を話し始めた頃から九歳までにおしゃべりしたことを母親が書き取ったものです。
・生まれる前、ぼくは、宇宙にいた。流れ星に、乗っていた。
・ぽくは、雲の上からいろいろ見て、「ここの家がいい」 って、すぐに決めて、神さまにいいに行った。「一度決めたら変えられないよ。いいんですか」 って、神さまにいわれて、「ここしかない、ここがいいんです」 といった。
・指をぐるぐる回したら、目が回るくらいの渦まきができて、それがどんどん細長くなって、米粒みたいになって、ピカツと光って、それで、ママのおなかに入った。
・生まれてくるっていうのは、幸せなんだよ。生きているというのは、大きな奇跡。あたりまえと思っている人も多いけれど、奇跡なんだ。だから、ぼくは早くおとなになって、みんなにそれを伝えたい、
・生きているというのは、大きな奇跡。みんな、だれでも、たましいはある。たましいは死なない。だからこそ、ぼくたちは、喜びで、大きく生きのこれる。
----------------------------
生まれる前の記憶をもっているという子供は、かなりいるようです。ちなみに、ある産婦人科医の先生が、長野県諏訪市・塩尻市の保育園に通う子供を対象にアンケートを実施したところ、胎内記憶は33%、誕生記憶は21%の子供が「ある」ということだったそうです。
授業のしめくくりの言葉は、つぎのような内容で余韻をもって終わりにしました。
「一人の命が生まれてくるというのは、本当に奇跡です。
『生まれる前から、両親や自分の人生をよく考え、お母さんのお腹から出るときは、すごい力を発揮してこの世に誕生してくる。』
そう考えると、自分が、今ここに生きているのは、決して当たり前のことではなく、この世の神秘、命の尊さ、人との出会いの不思議を感じます。命あるもの全てをあたたかく包み込んでいる何か、大きく、かけがえのない存在さえも感じられます。
そんな中で、私たちは、『生かされている』ことを改めて確認すると、自分が、今、生きていることに感謝したいという思いが心の底から湧き上がってくるように思います。」
3. 生徒の感想から (一部省略)
最後に授業後の生徒たちの感想を紹介します。
●僕は、自分の力と母の力で生まれてきたことと、それぞれが「生きたい」「生きてほしい」という思いで生まれてきたということから、僕は、生きる力のかたまりなんだと感じました。
●私は、この話を読んで、先生の話を聞いて、とっても感動したし、少し泣きそうになりました。私は、生まれた直後、呼吸が止まって、心臓も止まって、すごく大変でした。私は、一歩間違えたら死んでいたかもしれません。両親に心配をかけ、絶えそうな私の命を、憧れの医師や看護師に救ってもらいました。私は、小児科看護師になりたいと考えています。私は、全ての命を、自分の命をかけて守りたいです。両親やお医者さんが命(時間)を削って私を助けてくれた恩返しに、私は私の命(時間)を使って、子どもたちを助けたいです。
●自分が自分の力で生まれたなんて、考えたことがありませんでした。母親が大変だったのは聞いていましたが、それと同じくらい自分も頑張って人生を始めたと思うと、命の力強さを感じます。そして、生まれることができなかった命もたくさんあることを改めて意識させられ、その命のためにも精一杯生きようと思いました。これからも長い人生が続くと思いますが、くじけることなく過ごしていきたいです。
●最近は、親とあまり口をきかないのですが、改めて親に感謝しなければいけないなと思いました。今まで親に迷惑をかけてきたので、あと二年か三年後にはプロ注目選手になって、自分の夢であるプロ野球選手になれるように、日々努力して親孝行できるように頑張りたいと思います。
●「生きるということ」 の大切さやありがたさをとても感じました。生まれてこられなかった人の分まで頑張ろうと強く思いました。15年間生きていること、3年生としてみんなと学校生活が送れているのは、偶然ではなく、なにかどこかでつながる 「運命」 のようだと思いました。今日という今を大切にして生きることはあたりまえかもしれないけれど、このあたりまえをずっと大切にしていきたいと思いました。
●私は、この世に生まれてこれた命を持つものとして、この命を大切にしていきたいと思いました。最近、いじめによって自殺などが多くなってきているので、この世に生まれた者同士のいじめがなくなれば、生まれてこれた命の代表として恥ずかしくないと思います。私は、自分を励まし、他の人々とつながって生き続けていこうという勇気を大事にしていけたらいいなと思いました。
4. 授業の振り返りをまとめて
自分の命の始まりを知るということは、今の自分が生きていることの不思議さを改めて考え、この命を生み出してくれた親に思いを巡らすことにつながります。
そして、自分の周りで生きている人々の命の尊さに気づき、さらに、これからの自分の人生をどう生きていくかという生き方を確立していくことにもなります。
学校では、道徳という時間を通して、生徒一人一人が、自分の生き方を少しでも見つめる時間となることを祈念してやみません。
忙しい日々の中でも、一人の人間の 「生」 の根源を常にどこかで意識する思いを失わないようにしたいものです。
教師経験者:ミルキー

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◇ 代表メッセージ ◇
◆◇ 伝えたい「天知る 地知る 我知る」 ◇◆猛暑ですね。
日曜日、暑くても近くの運動公園のプールは、大盛況でした。朝の8時には、テントが張られて小学生の大会の準備がすすみ、子どもたちがぞくぞくと集まってきていました。
プールは夏の楽しみの一つですが、今年は、あまりの暑さに閉鎖されてしまう事態が各地で起きています。
ある先生は、「プールの水温が35℃にもなって、もうお風呂なんですよ」と話していましたが、子どもたちには残念な事態でしょう。
日本の夏と言えば、お盆の季節でもありますが、50年近くも前、私の田舎では8月のお盆の頃に「施餓鬼(せがき)」というものがありました。施餓鬼とは、地獄の餓鬼道におちて苦しむ衆生に食事を施して供養する仏教の行事(法会)のことです。
当時、そんなことを知るはずもなく、強制的に子どもたちはお寺に集められ、お墓の掃除をさせられ、意味不明のお経を正座で長時間も聞かされるという苦痛以外のなにものでもない行事でした。
特に「怖かった」と印象に残っているのが、地獄絵を見せられての話でした。体から吹き出る血、奇妙に膨れたお腹、真っ赤な炎の中を鬼に追いかけ回される半裸の亡者や餓鬼の姿。
小学生にとって「死」というものはめちゃくちゃ怖いものでした。その「死」に直結したお寺で「地獄絵図」を見せられ脅されるという、子供からみると、とんでもない行事があったのです。
小学校も中学校も廃校になった現在の田舎では、そんな行事も、もう思い出でしかありませんが、当時は、悪いことをしたら「鬼が来る」、「地獄に落ちる」というのは、「当たり前」のこととして教えられていました。
現代の子どもたちは「あの世なんかない」と思っている子が多いようですが、私の田舎では「あの世」と「この世」はある意味一体化していました。
うちの父もこのような体験をしています。
ある夜、親戚の家を訪ねた帰り道のこと、いつもの道を歩いていたはずなのに、ふと気がつくと、何キロも離れたところにいることに気付きました。父は大慌てで夜道を駆けて家にたどり着くと「狐にだまされた~」と大声で家族に訴えていたものです。
本人は驚いても村では大きな話題にはなりませんでした。
「人魂が飛んでいた」とか「死んだ婆さんが訪ねてきた」、「戦死した叔父が家に入ってきた」とかの話は日常茶飯事なので、村では「へーっ、そうだったか」くらいですまされてしまう程度の話なのです。
そんな伝説や昔話の世界に住んでいたのですが、かといって小学校時代が、「みんな仲良し」というわけでもなく、現代とはかなり違いますが時にはいじめもありましたし、ケンカもありました。
それでも、心の何処かには「悪いことをしたら地獄に堕ちる」という感性を持っていたように思います。
現代の「いじめ問題」が重い理由の一つには「節度がない」という点が挙げられると思います。
「不登校になるまで攻め続ける」、
「精神科に通うまで追い詰める」、
「葬式ごっこ」、
「自殺の練習させる」
目を覆いたくなるような事件が続いています。
それは限度を「知らない」子どもたちというより、「限度が分からない」子どもたちが増えているからだと思うのです。
その背景には、日本に風土に根づいていた「あの世と結びついた価値観」というものが失われていったことも影響しているのではないでしょうか。
仏教だけでなくキリスト教にも天国、地獄や煉獄という考え方がありますし、NHKの「西郷どん」の西郷隆盛が大切にした「敬天愛人」(天を敬い人を愛する)という言葉もありますが、儒教にも「天が見ている」という考え方があります。
「天知る 地知る 我知る 人知る」との言葉もありますが、目に見えない存在が、「必ず見ている」という感覚は、悪いことをしてはいけないという心のブレーキとして働いていたように思います。
結局、道徳やモラルと呼ばれる考え方の背景には、仏教やキリスト教、あるいは儒教と言った考え方が根底にあり、そこから「何が善で、何が悪なのか」という規範が生まれ、何千年にも渡って語り継がれてきたと言えます。
若いお母さんの間で「絵本 地獄」(風濤社)が人気だと聞いています。この絵本を見せると子どもたちが「いい子」になるというのです。
対処療法的にみれば「いじめ解決」は学校に委ねるしかないのが現実です。
学校に見放されたならば、「転校する」か、「学校に行かない」という選択肢をとるしかなくなってしまいます。
しかし、もっと大きな視点で考えた場合には、子どもたちの「心」に訴えていくことがより重要なのだと思います。
そのためには「家庭」や「社会」において、「善なること」、「悪なること」を教えると同時に、なぜ、その考え方が大切なことなのかを伝え続けることが必要だと思います。
そのためには、古い考え方だという方もいらっしゃるとは思いますが、「天国や地獄がある」という考え方は、子どもたちの暴走を抑止する考え方としては効果があるのではないでしょうか。
そして、大人である私たち、親や保護者、教師が、子どもたちのお手本となる生き方を示すことが、何よりも重要なのだと思います。
いじめの相談も夏休みに入って少なくなってきました。
しかしながら、いじめられない状況になっても、いじめにおびえている子もいます。
新学期のことが頭によぎって苦しんでいる子もいます。
何か不安なことがありましたら、ご遠慮無く、ご相談ください。
一般財団法人 いじめから子供を守ろうネットワーク
代表 井澤一明
井澤一明ブログ: http://ameblo.jp/kzizawa/Facebook: http://www.facebook.com/kz.izawaTwitter: @kzizawa

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