
『「いじめ」は必ず解決できる-現場で闘う教師たちの実践』 向山洋一編著
深刻化するいじめへの対処法を示す『「いじめ」は必ず解決できる-現場で闘う教師たちの実践』が28日、扶桑社から発売される。
編著者は教育面に「真犯人はこいつだ」を連載中のTOSS(教育技術法則化運動)代表、向山洋一氏。
向山氏や現場教師たちが実例をもとに「いじめは教師だけが解決できる」と訴えている。この本から、静岡県のある小学校教師の体験談を紹介する。
◇
私のクラス(2年生)でいじめがあった。クラスで一番小さい男の子。同じ班の仲間たちから「ばか」とか「チビ」とか言われていたらしい。 グループを作るとき、班の仲間たちと机をくっ付けてもらえなかった。給食のとき、私は毎日各班を訪問して子供たちと一緒に食べるが、そのときにも気付かなかった。
わずか「3センチのすき間」だった。 彼が机を付ける。すると他の子たちは離す。この繰り返し。20センチならすぐに分かる。だが3センチのすき間は教師にはなかなか分からない。
しかし当事者たちにとっては明らかに「離されている」「離している」意識となるのだ。いじめた子たちだって心の葛藤(かっとう)があっただろう。「やめようよ」などとはなかなか言い出せないものだ。言ってしまったら、今度は自分が「3センチのすき間」のかなたに追いやられてしまうから。
私は自分自身を恥じた。これらの事実を、よりによって1カ月間も見過ごしていたのだから。
本来楽しい営みとなるはずの給食。7歳の彼にとっては苦痛以外の何ものでもなかった…。しかも私が事実を知ったのは彼の訴えからだった。
「1カ月もか…。ごめんね。先生何も気付かなくて。本当に辛かったね。よくここまで我慢したね。後は先生に任せなさい」としか言えなかった。
◇
私は子供たち全員を黒板の前に集め、その場に座らせた。「最近、1つだけどうしても見過ごしてはならないことがありました。とっても重大なことです」。
子供たちはシーンと聞いている。「実はね、『ばか』とか『チビ』とか悪口を言ってる子がいるんだよ。しかも班の中で毎日毎日だよ」
すぐに子供たちから「えー」と声が上がった。私は矢継ぎ早に数人の子に聞いていく。 「どう思う?」「ひどいと思う」 「君はどう思う?」「許せない」 「君は?」「これはいじめです」 いじめに加担していた子たちの目が不安げだ。
「こんなこと許せないと思う人は手を挙げなさい」。全員の手が挙がる。やっていた子たちも手を挙げている。しかし表情はどこか自信なさげだ。
さらにたたみかける。「これは明らかにいじめだと思う人」。全員の手が林立する。
◇
しかしここで手を緩めてはいけない。「もっと言うとね、実はそれだけじゃないんだ。給食のとき、1人だけ机を離すんだよ。しかも先生に分からないように3センチだけ離すんだよ」
「えー!」と子供たちの声が一段と大きくなる。
「これってどう思う?」「それは卑怯(ひきょう)者がすることです」
「君は?」「机を付けてもらえない子がかわいそうだ」
「こんなこと許せるか?」「許せない」
「本当にそうだよな。許せないと思う人は手を挙げなさい」。全員の手が再び天井に突き刺さった。 いじめていた子たちは完全に孤立状態。
いつの世でも子供集団が持つ「正義感」は健在だ。私はそれを味方に付けた。 そして最後に一言。「今度同じようなことがあったら、クラスのみんなと先生を敵に回すことになるんだ。心しておきなさい」
以後、この手のいじめはピタッとなくなる。翌日の日記には…。「ぼくはいじめはきらいです。でもときどきやってしまいます。これからは絶対やめます。そんなものは用水に捨てます。かわりに、人を助けるよい心を今度は用水から拾います」
いじめを早く発見し、いじめをなくすのは教師の大切な仕事である。教師こそがいじめを破壊・爆破できるのだ。
ニュース・ソース sannkei web Mar. 26, 2007
Edited by H. Miyamatsu
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以前、このブログでご紹介のあった「教室の悪魔」を思い出しました。
仲間原理が、悪魔にも正義にもなるという現象だと思います。
ご紹介の事例は、
黒板の前で先生が、「いじめの事実」生徒みんなに問う
→みんなの反応が圧力となって悪魔を封印する。
人間の根本的な原理なのだろうと思います。
この時、先生自身も生徒達皆の反応に委ねているのでしょう。だから、力むことも無く、うまく行った。
逆に、黒板の前で説教をたれたところで、こうは行かなかったでしょう。
この様な経験を積む事で、子供達は仲間原理を体で学習して行く。教育の本質なのかもしれません。
大きな気付きです。ご紹介ありがとうございます。
たしかにいじめを発見、撲滅するには「3センチ」の隙間、に気が付く必要があるだろう。その「3センチ」をどう見つけるか?教師、親、地域、兄弟姉妹など、まわりの大人や家族がセンサーを鋭くしていく必要がある。また、いじめられた事は、なに一つ恥ずかしい事ではない、なんにも恥ずかしくない、と子供たちに言いたい。 「いじめることは人間として最低」と日本中の人々が思った時、日本は変わっていく。その日はもう近いだろう。
子供達から見て、
何段階か、上にいて、
ちゃんと、自分たちを見ていてくれる。
それが「大人」なんだよね。
子供と同じ目線、ってとても大切だけど、
「認識力」においては、
もっと「上の次元」を知っていなくっちゃ。
精神的に、
「かなわないなー」と思わせる「先生の頭の良さ」って
結局、
じぶんたちよりも、
次元の高い考え方が
実行できちゃう、ということなのかな。
あ、でも、
そういう大人、
いるけど、
こどもとおなじレベルであたふたしたり、
解決能力なくて、
見てみないふりして、
「家庭に問題がある」
とか、
「いじめられる子にも問題がある」
とか、言っちゃって、
「責任転嫁」してる教師も、
いたぞ。
書き忘れていたので、補足です。
例の2人は、その後、もう1人の子に、嫌がらせを止めました。
その子は、自分のペースで泳げるようになり、ほっと、していたようでした。
朝は、感激で、その思いだけ。書きましたが、思い出したことがあったので、自分の体験を書きます。
夏休みのプール当番をしていた時のことです。
ふと、ある子たち2人が1人の子に対して、妙な態度であることに、気付きました。
見てると、やはり、わざと、1人の子の嫌がるようなことを言ってからかっている、としか思えない感じでした。私の感覚からすると。
それで、私は、2人に言いました。
「さっきから、○○くんに、こう言ってるね。私は、○○くんは、嫌がっているように感じるよ。どうかな?」
すると、2人はバツの悪そうな顔をして、もじもじ、してました。
なんだか、聞き取れない、でも、反抗してる感じではなく、「謝るのもなんだか、なぁ~」という雰囲気で、もじょもじょ、言ってまた、プールの順番が来たので、行ってしまいました。
2人は、意地悪してる自覚があったのだと、思います。
でも、私は、2人が、意地悪しているという“決め付けた言い方”を、わざと、しなかったのです。
だから、2人は、はっきり、謝らなっかった、というか、謝れなかったのだと思います。
まず、『自分たちのしていることが、相手の子にとって、嫌なことなんだ』という事をはっきり“自覚”させる。
しかも、それは、大人にばれてしまう、という経験をする。「ちょっと、したことだから、いいだろう」は、ダメなんだ、と心の隅に刻み付ける。
些細なことは、それに見合った、穏やかな注意の仕方で。
大きなことは、それに見合った、厳しい注意の仕方で。
と、智慧を持って、愛の心で子どもたちを、みんなで、見守っていきたいものです。
この先生のよな先生ばかりだったらと、泣きながらこの記事を読みました。今も、泣きながら、書いてます。
この先生に会って、感激したことを伝えたいぐらいです。
ホントに、この先生ののような先生が増えることを、願います。
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