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いじめはなくせるか-さいたま市教育長の挑戦 

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【写真】さいたま市立教育研究所で開かれている「教師力パワーアップ講座」。自らの体験を語る桐淵博教育長の言葉に、多くの教諭や教職志望の学生らが耳を傾けた=1日夜、同市浦和区

いじめはなくせるか-
さいたま市教育長の挑戦
(上)
「きれいごとでもいい。語ろう」


 5月24日、さいたま市役所で市教育長の定例記者会見が行われた。一般的に、自治体の定例会見というものは自治体側からの「お知らせ」が多く、記者の側があまり関心を示さない話題もある。しかし、この日はなぜか違った。
「子供の成長過程でけんかやトラブルはつきもの。ただ、いじめという卑怯な手段だけはなくしたい。『いじめはなくならない』との考えもあるが、『そんなことはやめようよ』との声を大にしていきたい」
 発表者は、市教育長の桐淵博(58)。その内容は、1年のうちで6月が最もいじめの認知件数が多くなることを受け、市教委が6月を「いじめ撲滅強化月間」と銘打って実施する取り組みについてだった。

 桐淵の言葉を書き漏らすまいと、記者の多くが必死でノートにペンを走らせた。翌日以降、この会見を記事にした複数の新聞紙面には、ほぼ同じコメントが掲載されていた。一定の経験を積んだ記者なら、これまで数々の「いじめ対策」を聞いている。しかし、正直言ってその多くはありきたりのものだ。
 桐淵の言葉が記者の心に響いたのは、「いじめがいけないのはなぜか」という記者の問題意識に対する答えが、明確に示されていたからに違いない。
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私は、本音を言わせないまま卒業させてしまったんだなと。彼の言葉を聞いたときは、涙が止まらなかった…」
 6月1日、同市浦和区の市教育研究所。若い教諭や教職志望者を対象にした研修会「教師力パワーアップ講座」で講演した桐淵は、かつての現場経験を思い出し、声を詰まらせた。
 クラスメートから集団でいじめられていた生徒。担任として精いっぱいの対応をしたつもりだったが、成人後に再会したときに発した言葉は、「あの頃は地獄だった」というものだ。
 こんな苦い思い出を紹介しつつ、いじめられている子供たちへの対応の仕方を切々と訴えた。「いじめでプライドを傷つけられた子供の痛みを分かってあげてほしい。そして、そばに寄り添ってほしい」

 講演は予定時間を超えていたが、桐淵は「もう少しだけ」とさらに自身の体験談や好きな言葉などを語り続け、こう締めくくった。
教師は、人間として何が大切かを語ろう。きれいごとでもいい。きれいごとを誰も言わなくなったら、それこそ変な世の中だ」
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 「私はあの頃、大人たちが信じられなかった」
 桐淵の講演を最前列で聞いた女性(24)はこうつぶやき、涙をぬぐった。社会人3年目だが、空回りの日々に限界を感じ、転職を考えている。この日は教育の道も選択肢の1つと考え、飛び入り参加した。
 中学時代、クラスメートにいじめられた。無視されたり、私物がなくなっていたり…。「女子校特有の陰湿ないじめ。でも自分の性格も悪かったから」。今となってはこう笑い飛ばせるが、一番頼りたかった担任に、見て見ぬふりを決め込まれたのは辛かった。
「思春期に親に心を開ける子供はそんなに多くない。だから、教師は身近にいる数少ない『大人』。教師こそ人生のすばらしさを語ろうという桐淵さんの話に感銘を受けたし、そういう先生に出会いたかった」

 桐淵の魂は、確かに参加者の心に届いたようだ。参加者の感想文には「今までいじめ解決のテクニックばかり考えていた」「子供に信念を伝えたいという気持ちが伝わってきた」などの言葉が並んだ。
 こんな反応をみていると、さいたま市のいじめ対策は順風満帆と思えなくもない。ただ、市の教育関係者にとっては、忘れることのできない過去がある。=敬称略 (安岡一成)
      ◇
 さいたま市では、1年のうち最もいじめの認知件数が多いのが6月。いじめ撲滅に情熱を傾ける桐淵博教育長を中心に、いじめ対策に取り組むさいたま市教委の真剣勝負に迫る。
【2011年6月21日 産経新聞】

いじめはなくせるか-
さいたま市教育長の挑戦(中)
中3自殺 学校生活の中で絶えず啓発


生きることに疲れました。周りの人も私がいないと楽でしょう。私は◯◯中学校が大大…大嫌いでした。プロフにあんなことを書いた◯◯さんたち、復讐はきっちりしますからね
 平成20年10月、さいたま市立中3年の女子生徒=当時(14)=がこんな遺書を残し、自宅で首をつって自殺した。自殺の3カ月前にネット上でいじめを受けていたが、その後はいじめた生徒とも和解し、登校も続けていた。このため市教委は「いじめと自殺の直接の因果関係はない」と説明したが、当時は大きな反響を呼んだ。

 あれから3年、この学校の教諭らはどんな思いでいじめ防止教育に臨んでいるのか。取材を申し入れたが、校長は「彼女の自殺と結びつけるなら…」と難色を示した。
 残念ながら、その後もいじめを苦にした子供の自殺は、なくなっていない。昨年10月には、群馬県桐生市の小学6年生の女児=当時(12)=が自宅で首をつって自殺している。女児は母親の国籍などを理由にクラスで無視されるなどのいじめを受けていた。
 ただ、さいたま市教委関係者はこう証言する。「あんなことがあったからこそ、あの学校は懸命にいじめ教育やっている。教員は必死ですよ」
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「いじめ、争い、差別をなくすためには何をすればいい?」
 同市岩槻区の市立上里小学校6年1組の教室。担任教諭の増田耕一(50)の問いかけに、37人の児童たちは次々と挙手し、意見を述べていく。
「自分勝手はダメ」「けんかを止める勇気を持つ」「一人ひとりが意見を持ち、認め合う」…。

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【写真】上里小学校でのいじめ防止教育授業。活発に意見を交わし、結論を導いていく=14日午前、さいたま市岩槻区

 6月は子供たちの緊張感がほぐれ、それぞれの個性が明確になってトラブルが目立ち始める時期。月別のいじめ認知件数が1年で最も多くなるこの時期を狙って、市教委は市立小中学校の全学級で、いじめを防止するにはどうすればよいかを考えさせる授業を行っている。全員が標語を考え、市教委が作製した啓発ポスターに張り出し、教室や校内に掲示する。
 この日はいじめが発生したクラスの様子を描いたドラマを視聴し、なぜこうなったかを話し合った。児童のほぼ全員が積極的に意見を述べる様子からは、このクラスに問題があるとは思えなかった。

 ひと通り結論が出そろったところで、増田は表情を硬くさせてクギを刺した。「でも、からかわれたり乱暴なことをされて困っている子がこの教室に3人います。ビデオの内容はひとごとじゃないんじゃない?」
 一瞬、シーンとなる児童たちに増田は優しく語りかけ、授業を締めくくった。「はい、ここで犯人捜しをしてはダメ。いいクラスに向かって、仲間と成長しよう!」
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 授業に先立ち、同校では「楽しいクラスにするためのアンケート」を実施していた。「今、こまっていることや、なやんでいることはありますか。(ア)勉強のこと(イ)からかわれたり、らんぼうなことをされたりする(ウ)仲間に入れないことがある…」。
 増田のクラスでも、3人が悩みを打ち明けていた。ただ、子供たちにいじめ問題を考えさせるのに、架空の世界と現実世界のどちらを議題にするべきなのか。
「自分たちのことを題材にすると、現実的すぎて活発な意見は言えなくなる。一方で、ドラマは結局はドラマの世界への意見だから、出てくるものは建前に過ぎないのかもしれない」。増田はこう認めるが、「だからこそ、毎日の学校生活の中ですり合わせをやっていかなければならない」と強調する。

 これまではいじめ防止の標語は年に1回、クラスで代表作を1つ作ったらおしまい。標語は「すり合わせ」に生かされることなく腐っていたのが現実だ。
 今回、増田は児童が考えた標語はクラス全員のものを掲示するつもりだ。「子供たちって自分の言葉を紹介されたらうれしいし、はりきるもの。今回の企画には感謝している。これまでの自分のいじめ教育を見直し、成長させてくれた」と語る。=敬称略(安岡一成)
【2011年6月22日 産経新聞】

いじめはなくせるか-
さいたま市教育長の挑戦(下)
「きれいごと」と「ごまかし」は違う


stm11062312050001-n1.jpg「どの人間関係にもけんかやトラブル、人の好き嫌いは必ずあるし、それをなくそうとは思わない」
 今月16日、さいたま市教育長の桐淵博(58)に改めてインタビューすると、意外な言葉が返ってきた。いじめ撲滅に情熱を傾けるベテラン教育者が子供のけんかやトラブルを肯定するとは、いかなる考えに基づくものなのだろうか。

 文部科学省のいじめの定義は、平成5年までは「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実を確認しているもの」。
 しかし、18年度からは「一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」に変わった。
 桐淵も「この定義では、けんかやトラブルでも、ある局面ではいじめとして理解される」との認識だ。ということは、いじめと“紙一重”の部分まで肯定することにならないか。

 しかし、桐淵は強調する。「ただ『みんなで手をつないで仲良く…』というだけの指導では、私のいう『きれいごと』ではなく、『ごまかし』にもなりかねない。それでは何の意味もない」
 さらに、「だからこそ大事なことは、教師が子供に『魂の話』をすること」と説く。「魂の話」とは「人として大切なこと、やっていいことといけないことの話」であり、桐淵のいう「きれいごと」だ。
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自分と同じ人間はいません。(中略)でも嫌いだからといって、その人に嫌がらせをしたり、いじめたりすることは、人としてやってはいけないことです。恥ずかしいことです。まして、人をさそってみんなでいじめるなどは、とてもひきょうな行いです」

 昨年11月18日、さいたま市教委が児童生徒向けに出した「緊急アピール」の文面だ。「いじめは人間が取り得る行為の中で最も卑怯なもの」という桐淵の信念が、端的に示されている。
 アピールを出したのは、昨年10月、群馬県桐生市の小6女児=当時(12)=がいじめを苦に自殺したからだ。桐淵はさいたま市の子供への連鎖を恐れた。「死んだ人が生き返る」などと本気で考える子供が相当数に上るという文部科学省のデータがあるように、現代の子供の死に対する考え方は非常に未熟であることも心配だった。

 だが、理由はそれだけではなかった。3年前、さいたま市立中3年の少女が自殺したことが常に胸の内にあったからだ。「事故だろうが病気だろうがいじめだろうが、とにかく子供たちを死なせたくないんだ」。あのとき、子供の命が失われたことに対する桐淵の深い悲しみと後悔は、ここで生かされた。
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 緊急アピールは市立小中学校の全学級で担任が朗読し、保護者にもプリントで伝えられた。その結果、いじめ認知件数が同年10月には28件だったのが、11月には41件に急増した。
 市教委でいじめ問題を担当する指導2課の指導主事、斉藤有実子(44)は「あのアピールで、いじめを相談できない雰囲気をかなり取り除けた。その結果だと思う」と振り返る。

 斉藤は教諭として校長時代の桐淵に仕えたことがある。よく校長室で泣きながら部活運営について相談した。今は市教委で再び上司と部下の関係だが、「問題に対してはもっと攻めろ。解決のアイデアを持ってこい」と発破をかける桐淵にグループで持ちかけたのが、現在展開中の「いじめ撲滅強化月間」のアイデアだ。
 採用された啓発ポスターの図柄は、粉々になったハートマーク。これまでにない生々しさだが、これも斉藤らの発案。「いじめによって破壊された心をリアルに感じてもらいたい」と桐淵に強く提案し、採用された。こんなところにも、「ごまかし」と「きれいごと」を峻別する桐淵の思想が受け継がれている。
 斉藤の上司、指導2課長の野口浩(54)はいう。「いじめ対策には特効薬はない。でも、あまり不安はない。私の後にも、桐淵教育長の『魂』を受け継いだ教職員がたくさんいるから」(安岡一成)
=敬称略、おわり
【2011年6月23日 産経新聞】
【写真】「けんかや好き嫌い、トラブルは子供の成長にとって必要なこともあるが、いじめは卑怯な行為」と語るさいたま市の桐淵博教育長=16日、同市役所

 

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