【写真】『13歳からの道徳教科書』(育鵬社)
■□いじめを風化させてはならない□■
皆様、こんにちは。
滋賀県大津のいじめ自殺事件では、「いじめ対策」に対する現状の問題点が浮き彫りにされました。
「いじめ」に関しては、マスコミが取り上げると話題にあがりますが、しばらくすると風化してしまうということが何年も繰り返されております。
今から26年前、東京都中野区の中学二年生の鹿川裕史君が自殺しました。いじめが原因です。これからご紹介するのは、当時の同級生が8年後に書いたものの抜粋です。
なぜ、8年後なのか。
彼は、この問題から逃げようとしていました。触れないようにしていました。それでもいつも心の中に苦しみがあったといいます。大学3年生の春頃になって、「自分のしたことを、そのまま認め、余計なことで自分を弁解するよりも、自分が考え、感じ、苦しんだことを、少しでも、いじめをなくす方向に役立てたい」と思うようになり、以下の証言を書いたといいます。
何度も同じことが繰り返される不幸の連鎖を断ち切り、いじめ対策を少しでも深化させる必要があると思います。
『三回忌の前後に、中学時代の友だち数人で、彼の家にお悔やみに行った。留守番をしていた小柄なおばあさんがたった一人、迎えてくれて、ぼくたちをこたつに招きいれた。
「あら、裕ちゃんのお友だち。よく来てくれたわね、コーヒー飲みなさい」と言って、「あなた方は何かスポーツをやっているの」と聞いた。
「ぼくはラグビーです」
「ぼくは剣道です」
「ぼくは少林寺拳法です」
「あなた方はいいわね。大きくていいわね。裕史は小さかったからね」
ぽつりぽつりと続く会話の中で、「この人はこんな悲しい目にあうために、七十年も八十年も生きてきたのか」という思いがした。悲しい表情も作らず、たんたんと話すおばあさんの姿は、ぼくにとって本当にショックだった。
そのときのショックがなければ、ぼくはあの事件からも、あの事件を考えることからも逃げて、まるで関係ない部外者のような顔をしていたと思う。
〈中略〉
(葬式ごっこについて)
たしか、裁判では、葬式ごっこはいじめと言うより、遊びだった、という一審判決が出たのではなかったか。自分もずっと、そう思っていたが、いまにして思えば、葬式ごっこは、鹿川がみんなにとっての自分の生命の軽さを感じ、自殺の前に踏みとどまる最後の支えであるべき一つを失った伏線だったと思う。
〈中略〉
人の命を支えることは、相手に共感をもって話を聞くだけでも、彼と楽しくやさしい思い出をたった一つ、つくるだけでも、可能になる。ほんの小さなことでも、人の生命を守ることができるのだ。そのことに気づいていれば、決して彼を殺すことはなかった。』
『13歳からの道徳教科書』(育鵬社)より
「いじめ」という事実は,被害者を苦しめるばかりかその家族を深い悲しみに陥れます。
そして、傍観者、加害者もずっと苦しみ続けることになります。それを伝えることができるのは「大人」です。いじめはいけないということを教えるのは大人の義務です。
そして、「いじめを止める」ことができるのは現場の教師です。
「いじめは悪」だというあたり前の正義をしっかりと子供たちに伝えることを社会全体で真剣に考えていきたいと思います。それが子供たちを現在の苦しみから救い、そして子供たちの未来を守ることになると考えます。大人の真剣さはきっと子供たちに通じるはずです。
担当:小野田真里子(教育事業経営・3児の母)

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