★☆ 子どもの権利を考える。★☆ 1月26日の産経新聞によれば、「『子供の権利』を誤解した条例づくりが依然として後を絶たない。」という。
「子供の権利が強調されるようになったのは、20年前の平成6年に、日本が国連の「児童の権利条約」を批准したことがきっかけだ。(中略)
国連条約の本来の目的は、子供を飢えや病気、虐待などから保護することだ。しかし、自治体の条例では、子供の「意見表明権」といったものまで加わり、権利をはき違えたわがままを許す風潮が問題になってきた。」
(2014年1月26日付産経新聞「主張」)
各自治体で制定される、子ども条例の本来の目的は、いじめが原因で学校に行けなくなったり、親の都合で教育を受けられない、あるいは、親の育児放棄や虐待を受けているなど、そういったことから子どもを護り、ちゃんとした教育を受けさせ、立派な大人として社会に送り出すためのものであるべきである。
しかし、授業中でも「遊ぶ権利や休む権利がある」とか、子どもが授業中に騒いでも「子どもの意見表明権を止めてはならない」などと主張する人々がいる。
子どもの権利を誤って解釈していることが原因である。
その結果、単に子どもを増長させ、子どものわがままを受けいれ、注意できない親や教師が多くなっているように思えてならない。子供の意見を聞くのはいいが、わがままを聞き入れるのはよい親でもなければ、よい教師でもない。間違ったことに対してはしっかりと注意しなければならない。
前出の産経新聞の社説に、
「長野県で検討されている条例の骨子案では、保護者が教育に責任を持つことや、子供に規範意識を身につけさせることが盛り込まれ、過度に子供の権利を強調しない内容にはなっている。」
(2014年1月26日付産経新聞「主張」)
とあるように、長野県の示すような考え方を大事にすべきである。
子どもにも、大人と同じ人権があるとは言っても、子どもは子ども。まだ発達途上であり、子どもと大人は違うのである。大人は子供をしっかり導く義務がある。子どもを甘やかすのではなく、教育には厳しさも必要であると思う。
子どもの権利を無制約に認めたり、甘やかすのは、子どものためにはならない。将来、しっかりとした大人には決してならないだろう。
「意見表明する権利」を振りかざして、親に反抗したり、いじめが横行することにもなりかねない。
子どもを正しく導くという大人の責任から逃れてはならないと思う。
担当 : 興梠 規和

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