☆ 桜の樹の下で ☆ずいぶんと昔の話です。
二十歳そこそこの若者たちが数名、
円陣を組んで、最後の打ち合わせをしていました。
全員、同じ服装で、
帽子には、鉢巻をまいています。
最後にリーダーが確認したのは、終わった後の集合場所。
「大鳥居をくぐって、しばらく参道を進むと、神門があるから、
その先右側の三番目の桜の樹の下だぞ」
昭和20年の春、鹿児島の知覧飛行場でのことです。
彼らは、陸軍の特攻隊。
これから沖縄に迫るアメリカ艦船を攻撃、突入します。
最後まで、全員が一緒にいられませんから、
終了後の集合場所を決めてあるのです。
途中で機材の故障もあるでしょうし、
敵戦闘機に撃墜される者も多いです。
戦闘機を振り切っても、艦艇の対空砲火で落とされる者もいます。
そして、敵艦への突入の成功は、即 「死」 を意味します。
ばらばらになってしまう彼らは、
集合場所を、靖国神社の桜の樹の下に決めて、
出撃していったのです。
魂として、霊として、一緒に靖国神社に集うためにです。
私は、この話を、どうしてもこのシーズンになると思い出します。
なぜならば、東京の桜の開花宣言の基準木が、
靖国神社のこの桜だからです。
自爆テロを勧めたいわけではありません。
純粋に、家族や郷里、友人を守るため、そして国家のために、
身を捨てた彼らの志に心打たれるのです。
自分の全てを、他の人や社会のために使い切るという心が、
現代では、忘れられているように感じるのです。
テレビを見ていても、現実に出会ったりする人々を見ても
私には、自分のためだけに努力する人ばかりに、
スポットライトが当たり、目立っているように思えてなりません。
しかし、社会の片隅で努力する人は絶対に存在します。
そんな人を尊敬できる子供たちであって欲しいのです。
「志」 を立て人のために生きる、公(おおやけ) のために生きることの大切さを
いじめをしている子供たちにも、
いじめに悩んでいる子供たちにも教えてあげたい、そう念願しています。
かの吉田松陰は、
「国家とともにという志がないならば、人ではないのである」
という言葉をのこしています。
「あいつが嫌いだ」、「死ね」、「くさい」、
相手をおとしめ、いじめに喜びを感じるような子が大成するとは思えません。
また、いじめに苦しみ 「自分は何もできない」 と自己卑下ばかりの毎日が楽しいはずがありません。
「いじめ」 など 「志」 の前には、塵にも等しい存在だと、
そう思えるに違いありませんから。
子供たちが 「夢」 を語り、「志」 を語り合う教育現場を取り戻す必要があります。
そのためには、教師や私たち大人が、人生に誇りを持つことを忘れてはならないように思います。
桜の季節がきたなら、どうか、思いを馳せてください。
私利私欲にまみれることなく、
自分が生命を使い切ることで、
日本人全体の生き残る道を切り開こうとした若者たちの姿を。
彼らもまた 「普通の若者」 であったことを。
担当 こしがやじろう

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