◆◇ 魂の奴隷制度と戦う ◇◆ 「みんなもやっているんだからやりなさい。」
「みんなも我慢しているんだから我慢しなさい。」
子育ての過程で大人が多く口にする言葉だ。これでは子供に対して、みんなと同じことが正しいことだという判断基準を教えることになる。みんながどうかに関わらず、「それが大切なことだから」、「それがあなたにとって必要なことだから」。そう教えなくてはならない。
みんなを基準にして我慢を強いられた子供は、人と違う行動をとるものに、反感を抱いてしまう。
「あの子なんか変だよね。無視しよう。」
と人と違っていることが攻撃の理由になってしまうのだ。もちろん、人と違うことに対し、寛容に受け止める子供も少なからずいる。しかし子供社会は、大人が考える以上にストレスの多いものだ。そのストレスは子供同士の人間関係によるものもあれば、親の過干渉、放任からくるものも少なくない。そのイライラのはけ口を探している子供にとって、人と違うことは攻撃のための絶好の口実をつくることになる。
攻撃は継続されると必ずエスカレートする。そして加害者側は多数派をつくり、いじめを許容する空気をつくる。罪悪感も麻痺し、「あの子にはやってもいいんだ」 という考えが教室を席捲する。そして被害者も無力感を植え付けられる。
現代の大人であっても、人に迷惑をかけなければ何をしてもいいといった自己中心的な考えを持つ者は多い。そして自分がしたくないことに対しては、何かの役に立つのでなければやらないという考えも多い。
子供がそんな考えのもとで育てられると、世の中の役に立つとか、思いやりの心を持つといった価値を育むことは難しい。それどころか、迷惑をかけなければではなく、「バレなければ何をしてもいい」 という価値を持つ子供になってしまう。
残念ながら大人の中には、本音ではいじめを必要悪だととらえる者も少なからずいる。いじめをなくすには社会全体が取り組まなければならない。
現代の日本人で奴隷制度を認める人はいないだろう。しかし自由の国アメリカであっても、150年前まで、奴隷制度は合法化されていたのである。
考えには力がある。人々が心の中で奴隷制度を善とすれば、それは実現し、悪と思えばなくなっていく。
日本人の中には、まだまだ大人にも子供にも、魂の奴隷制度とでも言うべきいじめを許容している者が多いのではないだろうか。
本来人は皆違った存在でありながら、等しく尊い存在だ。そんな考えが社会に根付いていけば、いじめも少なくなっていくだろう。
奴隷解放の父リンカンは、「抗議しなければならない時に沈黙で罪を犯すのは臆病者だ」 と語った。
愛する者のためなら命も惜しくはない。そんな勇気があってこそ、いじめのない社会がつくられるのだろう。
担当 守矢 光児

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