◆◇ いじめとひきこもり ◇◆ いじめの被害の恐ろしいところは、いじめの行為そのものがなくなったとしても、被害者の心の中では被害感情が続くところにある。加害者がとっくに忘れていても、被害者は何年も何十年も苦しむこともある。
いじめが直接の原因で不登校になったり、間接的に不登校が続く要因になったりすることもある。また大人になってからのひきこもり状態でもいじめの記憶は、社会に踏み出す一歩をさえぎることもあるであろう。
ひきこもりの当事者が殺人事件を犯した、あるいは被害にあったニュースが世間を騒がせている。それによってひきこもり当事者に対する無理解や偏見が助長されるのではという危惧も抱かれている。
日本人は空気で動くとよく言われる。ひきこもりや不登校に対する厳しい声が増えれば、世論はそちらに動いていく。
いじめについての「やられる側にも問題がある」といった人権感覚の欠如した声は社会では小さくなってきたものの、まだ皆無ではない。
ひきこもりや不登校についての無理解や偏見から生じる声は、当事者とその家族を苦しめ、社会復帰、再登校への妨げになっている。
とくに当事者を抱える家族が、非難から責任を感じ、「親子二重のひきこもり」といった事態に陥りやすい。
禅宗の開祖とも言われる達磨大師は、壁に向かって9年座禅を続けたとも言われる(面壁九年)。現代でも修道院での生活は、行動だけを見ると引きこもり状態に近いものがある。
昔から一定の割合でそういった生活をしてきた人がいる。今もそうした他の人から遮断された生活を志向する人はいるのである。
壁に向かい、悟りを求めることや静寂の中で聖なるものを求めること。その中にある人々の心中は安らぎに満ちていることであろう。
ひるがえってひきこもりや不登校の当事者や家族の心中はどうであろうか。自らを責める声なき声にさいなまれ続けているのではないだろうか。
人から距離を置き、静かに自らの人生に向き合えるようになるためには、周囲の理解が必要である。
いじめからひきこもりになることがないように。
ひきこもり当事者や家族が社会からいじめにあうことがないように。
ひきこもりや不登校の人々の姿を目にする機会はまれである。ましてその心中は誰にもわからない。決めつけや偏見ではなくひきこもりや不登校への理解が進み、手を差し伸べていくことが求められる。
守矢 光児

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